2007年07月30日
錦田子供しゃぎり大会
第2回 錦田子供しゃぎり大会が開催されました。
三島夏祭りに欠かせない郷土芸能の1つで歴史は江戸時代に遡ります。
子供しゃぎりは、三島青年会議所が31年前に指導し始めたものですが、私の住んでいる錦田地区には、県の無形文化財に指定されている川原ヶ谷地区の三島囃子保存会がありますので、子供しゃぎりの大会を昨年から実施しています。
今年は、7地区の参加があり元気な鉦・太鼓・笛の音を響かせていました。





私も町内の子供達に教えて26年になりますが、大人になり地元を離れてもどこかのお祭りに出会った時、この町内を思い出してもらえたら良いという気持ちで指導しています。
最初に教えた子供も今はお父さんお母さんになっていますので、指導に加わるよう奨めています。
三島夏祭りに欠かせない郷土芸能の1つで歴史は江戸時代に遡ります。
子供しゃぎりは、三島青年会議所が31年前に指導し始めたものですが、私の住んでいる錦田地区には、県の無形文化財に指定されている川原ヶ谷地区の三島囃子保存会がありますので、子供しゃぎりの大会を昨年から実施しています。
今年は、7地区の参加があり元気な鉦・太鼓・笛の音を響かせていました。





私も町内の子供達に教えて26年になりますが、大人になり地元を離れてもどこかのお祭りに出会った時、この町内を思い出してもらえたら良いという気持ちで指導しています。
最初に教えた子供も今はお父さんお母さんになっていますので、指導に加わるよう奨めています。
2007年07月26日
2007年07月25日
三島由紀夫のペンネームは三島市から
作家の三島由紀夫のペンネームが三島市に縁があることをご存知でしょうか。
三島自身が『私の遍歴時代』の中で、清水文雄がこのペンネームを作ってくれたと言っており、清水文雄によれば同人合宿をした修善寺への入口の駅名から「三島」とつけ、「由紀夫」は本人の案の「由紀雄」を一字修正した(座談会『平岡公威の花ざかりの時代』)。とあります。
一方『作家のペンネーム辞典』によると、本名・平岡公威(きみたけ)。三島由紀夫という筆名にしたのは、編集会議をしたのが三島駅辺りだったので姓を「三島」に、名を近くに見える富士山から「ゆき」を発想したとあります。
いずれにしても三島由紀夫の三島は、三島市の三島であるのは間違いないでしょう。
三島自身が『私の遍歴時代』の中で、清水文雄がこのペンネームを作ってくれたと言っており、清水文雄によれば同人合宿をした修善寺への入口の駅名から「三島」とつけ、「由紀夫」は本人の案の「由紀雄」を一字修正した(座談会『平岡公威の花ざかりの時代』)。とあります。
一方『作家のペンネーム辞典』によると、本名・平岡公威(きみたけ)。三島由紀夫という筆名にしたのは、編集会議をしたのが三島駅辺りだったので姓を「三島」に、名を近くに見える富士山から「ゆき」を発想したとあります。

いずれにしても三島由紀夫の三島は、三島市の三島であるのは間違いないでしょう。
2007年07月24日
歴史の門
【小松宮別邸表門】
楽寿園の前身、小松宮別邸には 宮家に相応しい表門がありました。
場所は、泉町塚田邸の北側辺りで、門の幅のわりには入口の道は現在と変わりなく狭い感じがしますが、馬か人力車が通れれば良い時代でもありました。
昭和2年には所有者が李王家から緒明家に移り、昭和24年、表門が日の出町の妙行寺に移築されたといわれています。
三島いまむかし3によると、形式は棟門と言うらしく、皇居の桜田門と同じ様式であると記されています。
小松宮別邸は明治23年頃に建てられていますので、門も120年近くの歴史があることになります。
楽寿園の前身、小松宮別邸には 宮家に相応しい表門がありました。
場所は、泉町塚田邸の北側辺りで、門の幅のわりには入口の道は現在と変わりなく狭い感じがしますが、馬か人力車が通れれば良い時代でもありました。
昭和2年には所有者が李王家から緒明家に移り、昭和24年、表門が日の出町の妙行寺に移築されたといわれています。

小松宮別邸は明治23年頃に建てられていますので、門も120年近くの歴史があることになります。